ポジとネガ

同じものにも凹と凸があって、
どちらを取るかで、
その存在の意味さえ違ってきますし、
例えばポジだけを見ようとすることは、
つまり幸せを手に入れることでもあります。

自分の良いところ、他人の良いところ、
清潔な衣服と三度の食事、
雨風をしのげる屋根のある寝床、
それがどれだけ恵まれていることかと思える人は、
一生の終わりを満足な人生だったと微笑みながらいくことでしょう。

逆にネガを見てしまうとしたら、
それは辛い道のりとなるかもしれません。

自分の足りないところ、他人の嫌なところ、
欲しい服も買えない懐の寒さ、
食べても食べても満足できずに食事制限を余儀なくされる辛さ、
豪華なベッドと広い部屋を見てはうらやましく思い……。
とどまるところを知らない望みは膨らむばかり、
いつも欲求不満で爆発寸前、自分のことだけでも精一杯で、
他人の身になれるような余裕もありません。
やがて周りの人たちも離れていきます。

……

私はポジとネガのどちらも見てみたい。

せっかくこの世界への誕生を許されて、
いまこの瞬間、地球のこの時代を
実際に体験することができるのですから。

それだけでもワクワクしながら生きています。

ポジもネガも知ることで、
二回分の人生を体験できるような、
お得な気分にさえなります。

伊達政宗公の言葉に、

「この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。」
「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。」

というのがあります。

私は客の身なれど、
この世界に、ちょっとだけイタズラをしてみたいな、
なんてことを考えています。